いつも、興味深くこのコラムを拝読させて頂いております。
家族のことで、友人に相談する気になれないので こちらにメールを書かせて頂くことにしました。
私には8歳年上の姉が居て、姉は結婚が早かったこともあり 一番上の子供は大学生です。
以前から義兄(姉の夫)のことをいろいろ愚痴っており、他愛の無いことから、「男尊女卑だなぁ」と思えることまでありましたが、
それでも3人の子供達には愛情を注いでいて、家族を大切にしているので、
私や母に夫の文句を言ってストレスを解消しながら、我慢してやって行くのだろうと思っていました。
ですが少し前に「もう我慢できない、限界! このまま結婚していたら、私が精神崩壊する!」と言って、離婚する意志を訴えてきました。
理由は「夫の何もかもが嫌いで、もう一緒に住みたくない」のだそうで、
大きな理由があるというよりも、小さな出来事の積み重ねで爆発したという感じです。離婚理由を聞くたびに
いろいろな問題点を山のように聞かされるので、相当長年のストレスと我慢が溜まっていたのだと思います。
その中でも姉が最も頭に来て、今も話す度に怒りが込み上げてくるのが 3人目の子供を出産した時のことで、
難しい出産で帝王切開になってしまったことから、担当医に「いざとなった時にお子さんの命と奥様の命とどちらを優先しますか」
と尋ねられた義兄が「その場合は子供で」と言ったことでした。義兄は 今でこそ成長した子供達に「うざい」、「キモイ」などと嫌われて 相手にされていませんが、
子煩悩で 子供の教育や習い事、スポーツにまで煩く口出しをする父親です。でも男児、女児の2人の子供が居る時点での3人目の出産で、
姉の命より 子供の命を優先させるというのは 私も酷いと思いましたし、姉が居なかったら3人の子供をどうやって育てるつもりだったのか、そういう考えの至らなさというか、
ある種の愚かさが義兄にあるのは 私も気づいていました。
逆に姉は 義兄の至らなさを補って余りあるほどのしっかりした女性で、料理も上手く、3人の子供達をしっかり育てて、3人の学校の状況から友達関係までしっかり把握して、
近所付き合いも完璧です。
姉が居ないと回って行かない家族でしたが、姉は「子供達は成長して、やがて自立していくけれど、だらしない夫は 歳を取る度にどんどん理不尽で、
扱い難くなっていく。そんな夫の面倒を見るのはもう沢山!」なのだそうで、
子供達も離婚に賛成しているそうです。
姉の離婚話には 私の両親も最初は驚いていたのですが、
離婚について家族で話し合ううちに、今度は父母の夫婦仲までギクシャクしてきました。
きっかけは父が姉の離婚に反対して 「お前さえ少し我慢していれば良いことだろ」と義兄をかばうようなことを言ったためで、
それに姉が怒りだしてしまいました。
そして 父がこれまで母にどれだけ迷惑や苦労を掛けて 好き勝手にやって来たかを思い出しながら、
父も義兄と同じくらい 自分の言い分ばかりを通して、思いやりが無い人間だったと なじって、
「夫の犠牲になる人生なんて母親の世代で終わらせるべき」と姉が言い放ったことで、今度は母の怒りが覚醒してしまいました。
その直後から 母が父への不満を並べ始めて、父のこれまでの言動、行動、間違った判断や歪んだ価値観の押し付け、
面倒なことを全て母に押し付ける甘え等を 時々声を詰まらせながら話し始めました。
その内容は姉と私が成長期を通じて感じていたことでしたが、これまでは何故か 母が我慢するものだと思い込んでいたことに気付きました。
そして母が父を許していたのではなく、その都度 根に持っていたというか、ネガティブな気持ちを引きずったまま生きてきたことを知らされました。
「思えば、私が今まで幸せだと思ったのは娘の成長を見届けている時だけで、貴方と一緒だから幸せだと思ったことなんて無かった」と母が言った時には、
私達を育てるために母が犠牲になっていたのかと思って、申し訳ない気持ちで一杯になってしまいました。
私は母や姉の気持ちを考えると、離婚を止める気持ちにはなれません。
離婚をして、長年のイライラや 我慢と関わり続ける絶望感とおさらばしたいという言い分は良く分かります。
でも何となく寂しいというか、虚しい気持ちもあって、結婚は女性の犠牲や我慢の上にしか成り立たないものなのだろうかという気持ちになってしまっています。
少し前に会社の30代後半、40代の先輩達が夫婦円満の秘訣を自慢げに話していた時も、
「夫婦生活を続けたいのなら、まずは我慢。そして夫には言いたい事を言わせておく!」と言っていたのですが、それはまさに姉が今までやってきたことでした。
実は私には 付き合って3年になる彼が居て、そろそろ結婚の話題が出るようになっています。
でも どんなに我慢をして結婚を続けようとしたところで、結局は母や姉みたいに、幸せとは思えない生活を続けた末に離婚することになるのなら、
「結婚なんてする意味があるんだろうか?」と思うようになってきてしまいました。
我慢をしながら、相手の言いたい事だけ聞かされる生活なんて まるで給料が払われない使用人のように思えますし、そんなことを自慢げに語ること自体が
私には理解できません。
これまで長くこのコーナーを読んできて、秋山さんが結婚について冷静に分析される文章が 私の頭の中に
一番頭にすんなり入ってきたので、いっそ秋山さんのお考えを仰ぎたいと思ってメールをすることにしました。
秋山さんは 我慢をしながら 夫の言い分を聞き流すような結婚生活をどう思われますか。
そうならずに結婚生活を続ける方法はあると思いますか。
何でも良いのでアドバイスを頂けないでしょうか。
これからもこのコーナーを楽しみにしています。お身体に気を付けて頑張って下さい。
- J -
Jさんのメールを読んで、私がまず思い出したのが1992年前後にNYタイムズ紙に掲載された「昨今日本でも若い世代を中心に離婚が増えて来た」という内容の記事でした。
その中で 離婚が増えた原因として 地方に住む70歳くらいの日本人女性が語っていたのが「今の若い女性には我慢が足りない」というコメントでした。
当時私が勤めていたNYの雑誌編集部では、複数の日本人女性スタッフがそのコメントに腹を立てていましたが、
ふと考えるとあれから既に30年が経過している訳で、未だ日本では夫婦円満のために 女性が我慢を強いられるのかと思ってしまった次第です。
ところで 何故私が30年前の記事を鮮明に覚えているかと言えば、その記事の中で「我慢」という言葉が「Gaman」と、日本語のままローマ字表記になっていたためです。
日本人は我慢を「Patient」と訳す傾向にありますが、「Patient」はむしろ「忍耐」で、「我慢」の意味に的確に該当する英単語は私が知る限り見当たりません。
私自身、アメリカに暮らすようになってから 「我慢」というものは成す術が無く、だからといって諦める訳に行かない状況で、
好機を待つ間の現状維持のために行うものだと考えるようになりました。ですが ふと気づくとそれは「Patient / 忍耐」であって、
日本で 美徳とされる「我慢」とは意味合いが異なります。
ですから、今から思い出してもNYタイムズ紙が 当時「我慢」を「Gaman」と表記したのは 適切な判断だったと考えています。
「我慢」という言葉は本来「自分に執着して おごり高ぶる心」を意味し、かつては「高慢」や「うぬぼれ」と同義語だったようですが、
現代社会での「我慢」は、 自分に不利益な状況や 相手の我がままを容認して、不便や不都合に耐える様子を意味します。オリジナルの意味も 現代社会で使われる意味も
感心出来るものではありませんが、日本は長きに渡って「我慢」を美徳とするカルチャーと国民性が続いている社会です。
我慢をしない、出来ない人間は人格的に劣ると判断される一方で、散々我慢した挙句に起こす反乱、抵抗、自己主張、復讐には周囲からの理解と支持が得られる
社会でもあります。
私はそれを個人的に「水戸黄門」のメンタリティと呼んでいます。
昭和時代には「水戸黄門」だけでなく「遠山の金さん」、「必殺仕事人」など、善人が散々酷い目に遭って我慢した挙句、
最後の最後に御老公や仕事人が悪行を働いた人物を成敗して スカッと終わる展開が、高視聴率獲得のフォーミュラでした。
一般的に「我慢」というのは立場が上で強い側が 立場が下の弱い者にさせるものです。
人に我慢を強いるものには 天候や運、身体の痛み等がありますが、それらも自分の力では抗えないという点では 自分より立場が強いものとして捉えるべきです。
早い話が我慢とは 自分の弱さや劣勢、成す術の無さを認める行為ですので、人間関係において我慢をした場合には、相手の優位性を認めたことになります。
したがって夫婦関係において建前上は 「夫婦同等」と考えていたとしても、伴侶に対しての我慢を続ければ、その関係が伴侶の優位で進む状況を意味します。
また我慢というものは「少しだけ我慢して!」、「今だけ我慢して!」などと 度合いや時間的リミットと一緒に相手に押し付けることにより、
その負担が軽減される印象を与えがちですが、押し付けられた側は程無く 「少し」でもなければ、「今だけ」でも無かったことを痛感します。
しかし押し付けた側の認識では、それが「少し」で、「あの時だけだった」ということになっているので、
我慢した側の苦労や心情が 押し付けた側には理解されないのが常です。
我慢が美徳とされる日本社会では 我慢をしてきた人、している人が 実は惨めで不幸な生活をしていることに気付いていないケースは少なくありません。
「自分さえ我慢していれば」という犠牲的精神で、周囲が感謝どころか、気にも留めない我慢を続けるケースは特に女性によく見られます。
また我慢をしてきた人、している人は 他人にも我慢を当然の義務として押し付ける傾向も顕著です。
しかし我慢とは いつかは崩壊・破綻するコンディションに過ぎず、それはJさんのお母さまの不満の爆発のように 思わぬきっかけがトリガーになって起こるものです。
「これくらい我慢できるだろう」と我慢をさせる側も、「これくらい我慢しなければ」と我慢をしている側も、
我慢の上に安定が築けると思っていたら大間違いです。
何故人間が我慢を続けられないかと言えば、苦しいだけで何の前進も改善も望めないからです。
特に我慢を押し付ける側が楽をしている状況では、我慢をしている側に 怒りや敵対心、引いては復讐心が宿るようになるのが 血が通った人間のメンタリティです。
そんな怒りや反発が自我の目覚めや自立に繋がるケースもありますが、我慢などせずに済むスマートな人生を歩む方が 遥かに幸せかつ ストレスフリーで、
時間を無駄にせずに生きて行くことが出来ます。
ですから「我慢がやがて人生のプラスになる」とか、「我慢によって人間が大成する」というような 我慢を美徳とする誤った思考は捨てるべきだと私は考えています。
もちろん相手に対する寛容な気持ちが無ければ、人間関係も愛情関係も成り立ちません。
その際に持ち出してくるべきは「我慢」ではなく、「忍耐」なのです。
「忍の一字」と言う言葉の意味が「目標達成のために耐え忍ぶ / 耐え忍ぶことで目標が達成できる」であることからも分かる通り、
忍耐とは 強い気持ちで相手や状況に向き合う姿勢を意味します。
改善を試み、状況の好転を見守る寛容さ、そのためには たとえ自分に不利でも見切りを付けない思い入れや愛情が忍耐であり、
そこに勝算を確信し、希望を見出すからこそ 人間は前向きな気持ちで 忍耐強くなることが出来るのです。
結婚生活でも仕事でも 成功や長続きの秘訣になるのは「忍耐」であって、決して「我慢」ではないのというのが私の考えです。
アメリカは20代に結婚した約50%が離婚をする離婚先進国ですが、
浮気、ギャンブル癖、アルコールやドラッグの中毒、DV等など、明らかに結婚生活が続けられない状況を除いた
離婚原因の中で、常にトップになっているのが「話が通じない」、「話し合いにならない」というものです。
これはアメリカでは「Irreconcilable Differences (和解不可能な違い)」、日本語であれば「性格の不一致」という離婚理由に当たりますが、
具体的には 肝心なことを話し合おうとした時に「話が堂々巡りになる」、「常にお互いに異なる論点で口論してしまう」、「相手が自分の言っていることに耳を貸さない」
「相手が自己主張しかしない / 自分が正しいと信じて譲らない」というもので、
やがて「話しているだけでイライラする」という状況に発展しますが、これを訴えて離婚をしたがるのはもっぱら妻側です。
世の中には相手に強く言われると、黙って その状況を受け入れてしまう人は少なくありませんが、
どんなに気丈な人でも「これ以上話しても無駄」ということを悟れば、仕方なく相手の言う事を聞いたふりをして
時間と労力が省ける道を選ぶようになるのは自然の成り行きです。
ですが たとえ「面倒だからから 自分が折れてあげている」という斜め上からの目線で 相手の言い分を通していた場合でも、
それが続けば 自分だけが 我慢を強いられる関係に陥ります。
このケースが厄介なのは、本人には「相手の手綱を握ってコントロールしているのは自分」という意識が強く、
実際には相手の理不尽や我がままを一方的に受け入れて、イライラを我慢しながら 相手の言い分を聞き流す という不幸な状態に なかなか気付けない点です。
我慢というものは芯が強い人間ほど長く続けられると思われがちですが、実際には我慢を続けるのは 我慢するしかない 立場や気持ちが弱い人です。
中には 性格が真面目過ぎるが故に、不必要な我慢や苦労を人生に必要なレッスンと捉えて、それに耐えて 乗り越えようとする人も居ますが、
試練や苦労というものは 受け入れる姿勢があるうちは エンドレスにやってきます。
我慢や苦労を覚悟で結婚すれば、必ず結婚生活で我慢や苦労をする羽目になるのです。
人間の潜在意識は、その人の未来のブループリントです。苦労や我慢に対して抱く感情や懸念は 結婚だけでなく、人生全般を左右します。
人として自立していて 運が強い人、人生で上手く立ち回れる人ほど、我慢や苦労を極力避けて、耐えるよりも解決策の模索にエネルギーや時間を注いでいるものです。
人生をおおらかに幸せに過ごしたいと思うのであれば、不必要な苦労や我慢、それを運んで来る人を遠ざけて生きるべきなのです。
そして必要な努力と尽力を忍耐強く続けながら、毎日を楽しく生きることこそが 安定した成功と幸福への最短かつ最も確実な道のりだと私は考えています。
Yoko Akiyama
執筆者プロフィール 秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。 Eコマース、ウェブサイト運営と共に、個人と企業に対する カルチャー&イメージ・コンサルテーション、ビジネス・インキュベーションを行う。 |
当社に頂戴した商品のレビュー、コーナーへのご感想、Q&ADVへのご相談を含む 全てのEメールは、 匿名にて当社のコンテンツ(コラムや 当社が関わる雑誌記事等の出版物)として使用される場合がございます。 掲載をご希望でない場合は、メールにその旨ご記入をお願いいたします。 Q&ADVのご相談については掲載を前提に頂いたものと自動的に判断されます。 掲載されない形でのご相談はプライベート・セッションへのお申込みをお勧めいたします。 一度掲載されたコンテンツは、当社の編集作業を経た当社がコピーライトを所有するコンテンツと見なされますので、 その使用に関するクレームへの対応はご遠慮させて頂きます。
Copyright © Yoko Akiyama & Cube New York Inc. 2023.