
Feb Week 3, 2025
Carolyn Bessette Kennedy's 90s Style
キャロリン・ビセット・ケネディの90年代スタイル

アメリカのファッション・メディアやSNSのファッション・インフルエンサー達が2024年中から着眼し始めていたのが、1999年6月の飛行機事故で夫、JFKジュニアと共に33歳の若さでこの世を去った
キャロリン・ビセット・ケネディのスタイル。
1988年、ピープル誌が「セクシエスト・マン・アライブ」に選んで以来、メディアの注目を浴び続けたJFKジュニアは、ケネディ家に生まれていなければ俳優を目指していたとも言われ、
サラー・ジェシカ・パーカー、ダリル・ハンナといった女優とのロマンスが報じられてきた存在。特にダリル・ハンナとは結婚を考えたものの、母親のジャクリーン・ケネディ・オナシスに猛反対されたのは有名なエピソード。
キャロリンのルックスは、そのダリル・ハンナとJFKジュニアの姉 キャロライン・ケネディに似ており、1966年にNYのホワイトプレーンズで生まれ、コネチカット州のグリニッジで育ったアッパー・ミドルクラス。
ボストン大学に進学してからは初等教育の学位を取得。
しかし教員の道は選ばず、マサチューセッツのショッピング・モール内のカルバン・クライン・ブティックに勤務していたところ、本社からやって来たセールス・コーディネーターの目に留まり、
NYオフィスのパブリック・リレーション部門に引き抜かれたのが JFKジュニアとの出会いに繋がった運命の分岐点。
やがてセントラル・パークでキャロリンと出逢ったJFKジュニアは、当時のカルバン・クラインの妻で、彼の友人であったケリー・クラインを通じて
キャロリンを正式に紹介してもらい、1994年にスタートしたのが2人の交際。1995年には一緒に暮らし始め、程なく婚約。
そして1996年9月21日に、メディアには極秘でジョージア・アイランドのビーチで式を挙げたのだった。

カルバン・クラインのオフィスでもキャロリンの洗練されたファッション・センスは評判で、彼女が担当していたのはセレブリティ・クライアントのためのスタイリング。
ボストン時代にアルバイトでモデルをしていたほど長身でスタイルが良く、透き通るような白い肌、輝くブロンドという抜群のルックスは、ハリウッド・セレブリティと比べても引けを取らないレベルで、
彼女が勧めるコーディネートは著名人の間で極めて評判が良かったとのこと。
しかも1990年代と言えばカルバン・クラインがジーンズを手掛け始め、アンダーウェアもケイト・モスやマーク・ウォルバーグを起用して大ヒット。
さらにフレグランス CK Oneが発売され、アメリカン・ファッションと言えばカルバン・クラインという時代。
そんなキャロリンのワードローブは、JFKジュニアとの交際で大きく注目を集めたけれど、キャロリンが一躍世界的トレンドセッターになったきっかけは、写真上、左から2番目のシンプルなウェディング・ドレス。
これを手がけたのはキャロリンと個人的に親しかった元カルバンの主任デザイナーで、当時セルッティのクリエイティブ・ディレクターを務めていたナルシソ・ロドリゲス。
彼はこの1枚のドレスがきっかけでバッカーが付いたことから、自らのブランドを立ち上げて独立。
このドレスをコピーしたファッション・ブランドABSは、数十億円相当のセールスを記録したのは当時大きく報じられたこと。
結婚直前にカルバンを辞めていたキャロリンは、その後もカルバン・クラインのミニマリズム・テイストを受け継ぎながらも、
プラダ、ヨージ・ヤマモトを好んで着用するようになっていったのだった。


そんなキャロリンのスタイルは、30年近くが経過した今も色褪せることは無く、逆にレトロ・ブームで90年代ファッションに着眼していた若い世代にとっては
新鮮かつタイムレスで、クワイエット・ラグジュアリーを具現化したスタイル。
フォーマル・オケージョンはシックでエレガント、カジュアル・ウェアはシンプルでベーシック。
ストレートのブロンド・ヘアは、オケージョンに合わせてシニョンや、ヘッドバンド&ポニーテールで小さく纏め、
普段はほぼノーメーク。ドレスアップ・オケージョンでは真っ赤なリップでインパクトをもたらすシンプルなヘア&メークのメソッドも
若い世代にアピールするポイントになっているのだった。
しかしながらキャロリンにとって最も効果的なアクセサリーと言われ続けたのは、彼女の隣を歩くJFKジュニアの姿。
2人が暮らしたトライベッカのロフトのビル前は、パパラッツィが常にシャッターチャンスを狙って待機しており、
長身でスタイリッシュな若い2人が 再開発前のトライベッカを歩く姿は、まるで映画のシーンのように見えたのだった。


写真上一番右、キャロリンがベージュのプラダのスカートを着用しているスナップは、結婚直後、2人が住むロフトの入口でJFKジュニアが
集まったパパラッツィに対して「妻は一般人なので、プライバシーを尊重してほしい」とスピーチした時のもの。
しかし2人に対する取材攻勢はどんどん勢いを増し、取材攻勢に慣れていたはずのJFKジュニアさえもパパラッツィに怒りを露わにする一幕が見られたほど。
やがて夫婦仲も徐々に冷めて行ったことが伝えられ、キャロリンは以前のファッション業界仲間とコカインを常用する機会が増え、
JFKジュニアは近しい友人に「これがケネディ家の呪いか」と語っていたとのこと。
2人が命を落とした飛行機事故は、親類のウェディングに参列するためにマーサス・ヴィンヤードにJFKジュニアが操縦するセスナ機で向かっていた最中に起こったもの。
この日、結婚式参列で着用するラヴェンダー色のドレスに合わたマニキュア&ペディキュアをするためにネール・サロンを訪れたキャロリンは、ネール・カラーがドレスにマッチしていないと言って2回やり直しをさせており、
予定より1時間以上遅れたのがニュージャージー州の飛行場から飛び立つ時間。「そのせいで視界が悪くなったことがアマチュア・パイロットであるJFKジュニアの操縦ミスを招いた」という憶測は
当時のニューヨークのメディアが記事にしていたこと。
機内には緊急時に備えてフライング・インストラクターが同乗していたものの、事故が防げなかったと言われたのだった。
この飛行機事故は、マイアミでデザイナーのジャンニ・ヴェルサーチが射殺され、その直後にダイアナ妃が交通事故で死去した2年後の夏に起こっており、
90年代を代表するアイコニックな存在が、立て続けて悲劇に見舞われる印象を社会に与えていたもの。
キャロリンのファッション同様に、90年代のヴェルサーチ・ファッション、ダイアナ妃のスタイルも近年再び脚光を浴びていたけれど、
若い世代は3人をスタイル・アイコンとして捉える傾向が顕著。現代史にインパクトを与えた存在という認識が希薄なことは少々残念に思えるのだった。
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執筆者プロフィール 秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。 Eコマース、ウェブサイト運営と共に、個人と企業に対する カルチャー&イメージ・コンサルテーション、ビジネス・インキュベーションを行う。 |


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