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アメリカ在住です。毎年夏に子供を連れて一時帰国をしていますが、今年はオリンピック開催中の日本滞在でした。
その時にある女性芸人が 別の女性芸人にSNSを通じて誹謗中傷されて、大きな報道になりました。
誹謗中傷した側は、罪もない相手に一方的に言葉の暴力を振るい、しかもそれが読んでいるだけで不愉快な内容だったので、
その後芸能界追放になったのは当然のように思えました。
でも私が驚いたのは、そんな状況でも日本のSNSでは誹謗中傷された被害者の芸人さんのことを悪く言う人が居たことで、
この人達の正義の概念は一体どうなっているんだろうと思って、常識を疑ってしまいました。
それで思ったのですが、日本のSNSのリアクションって 必ず犠牲者とか、被害者を悪く言う人が一定数居ます。
アメリカのSNSで そんな投稿をしたら、それこそ炎上してしまいますし、他国でも同様です。
良く考えるとSNS上だけではなく、実生活でも例えば私がトラブルに巻き込まれて、私は悪いことをしていなかったとしても、
「あの時にああしていれば良かったのに」とか、「何故そんなことになっちゃったの?」みたいに、私が至らないとか、悪いように言われたことが何度もあります。
どうして日本ではトラブルが降り掛かった人に対して 「そこに居たお前も悪い」的な責め方をする人が、正論を語っているように振舞えるのでしょうか。
私はこれが日本特有のおかしなリアクションだと思うのですが、秋山さんはどう思われますか。
アメリカに長く住んだ私の目からは、たとえ犠牲者でも 話題になったり、目立った人を 「出る杭は打たれる」の精神で叩いてしまう国民性に思えてしまいます。
だとしたらトラブルに巻き込まれた側は、何もしていなくても、目立ってしまったから責められても仕方がないことになってしまいますよね。
こういう被害者叩きが容認される社会は 国際社会と同じモラルで物事が考えられないということになりますし、
だから日本人は服装でも存在感でも目立たないようにして、自己主張も控える人が多いのかと思えて、日本は生まれ育った国で、大好きですし、
愛国心も持って居ますが、アメリカに戻ってからも複雑な思いがぬぐえません。
もしよろしかったら秋山さんのお考えとか分析などを聞かせて頂きたいです。
お忙しいかと思いますが、よろしくお願い致します。
ー M ー
私はSNSに一通りアカウントを持ってはいても 日本関連のアカウント・フォローは殆どしていません。
ですがMさんが書いていらした誹謗中傷騒ぎはYouTubeを通じてリアルタイムで知りました。
日本のカルチャ―に疎い私は、誹謗中傷した側の芸人さんも、された側の芸人さんも この騒ぎで初めて知った方達でしたが、
この炎上騒ぎ報道を見ていて頭をよぎったのが、アメリカ在住の複数の日本人が
「日本のSNSの炎上やそのリアクションを見ていると、日本に失望することが多いから見ないようにしている」と語っていたことでした。
欧米では一般に ”All publicity is good publicity.”と言われ、スキャンダル絡みの悪いパブリシティであっても、
大きな知名度を得てしまえば、それに伴ってビジネスが成功するケースが殆どです。
知名度とはそれほどまでに獲得が難しく、有益に遣えるものなのです。
大きな事件やスキャンダルでは、加害者と被害者の双方にスポットが当たるので、加害者に非難が集まる一方で、
注目や同情を集める被害者に対しても 「事件に遭ったくらいでチヤホヤされて…」という批判や嫉妬の攻撃が寄せられるのは世界共通ですが、
欧米の攻撃が好き、嫌いのレベルに基づく短絡的なものであるのに対して、Mさん御指摘のように日本の攻撃は粗探しやこじつけによる 正論を装っているものが多いように見受けられます。
「被害者も悪い」と責めるヴィクティム・ブレーミングは、レイプ被害者に対する「そんな服装をしていた女性側が悪い」、「2人きりで飲むのが悪い」といった加害者擁護の形で、
アメリカ社会に存在しますが、日本のヴィクティム・ブレ―ミングの根底には確かにMさんがおっしゃる「出る杭は打たれる」の社会概念もあると思います。
「どんなことでも注目を集めれば、叩かれても仕方ない」という認識、「注目を集めている=調子に乗っている=つけ上がる前に叩いておくべき」といった歪んだ正義感が
潜在的にでも存在するように感じられます。
欧米先進国では「目立つ」ということは、メリットであり、仕事面でも社交面でも人とは異なることが有利に働きますが、
日本社会は人と同じであろうとすることが調和や強調の意識であり、美徳とされ続けています。そのため「目立つ=不穏分子」的な考えは、今も根強いようです。
同時に目立つ存在が注目も批判も、責任も一手に引き受けるという認識も顕著なので、そのせいで目立つことを恐れる人は少なくありません。
周囲と同化せずに目立つことは、自分の意見をはっきり主張することでもありますが、それに価値を見出さない「出る杭は打たれる」社会であれば、
政治や企業戦略等において、建設的な論議などは行われず、全てが裏の根回しによって決まり続けてしまうのは当然に思えてしまいます。
加えて日本には「長い物には巻かれろ」のメンタリティがあり、昔ながらの縦社会も健在なので、”イエスマン”が生まれ易い社会システムが出来上がっているのは周知の事実です。
ちなみに英語で「長い物には巻かれろ」に当たる諺は「If you can't beat them, join them / 勝てない相手とは、仲間になれ」というものです。
決して「長い物には巻かれろ」のように 強者の言いなりになるイメージではないのです。
でも私自身の見解では、日本の被害者叩きの根幹には 「喧嘩両成敗」の意識が強く働いているように思います。
日本でも欧米でも喧嘩自体は悪いことですが、それでも欧米では喧嘩を仕掛けた方、特に先に手を出した方が悪いという善悪のジャッジに対する鉄板ルールが存在しています。
学校で殴り合いの喧嘩が起これば、怪我の度合いに関わらず「悪いのは先に手を出した方」と決まっているのです。
その認識は国政にも反映されますので、第二次世界大戦でも それまで散々対立する両サイドに武器や物資を調達して大儲けをしてきたアメリカが、一番美味しいところで参戦したのは
旧日本軍によるパール・ハーバー奇襲によって「やられたから、やり返す正義と正当性」のお膳立てが整えられてからでした。
日本の喧嘩両成敗の問題点は 「喧嘩をしている限りは、双方が悪い」ため、一方的に喧嘩を仕掛けた側と単に巻き込まれただけの側が同等に悪いと見なされて、
善悪のモラルが曖昧になることです。
また 双方に非がなければ喧嘩両成敗のセオリーが成立しないので、特に悪くない側に対して 理不尽な粗探しが行われて、無理やり非がでっち上げられる傾向にあります。
一方的な挑発で喧嘩を売る人物に対して、挑発された側が自分の潔白を説明しようと試みた場合でも、誰かがそれを「口論=喧嘩」と見なした途端に、
「挑発するのは悪いが、反論する側も言い訳がましい」と被害者を責めるようになります。
仲裁する側にとっては、喧嘩をしかけた側の非は明らかなので脳が簡単にその事実をプロセスするだけです。しかし巻き込まれた側に対しては、
その非を見つけるための「粗探し」が より厳しい視点と脳にストレスが掛かる状態で行われます。
人間の脳は簡単にプロセスできる情報を好み、難しいタスクを嫌う傾向が顕著ですので、
その結果、仲裁する人が無意識のうちに 喧嘩をしかけた側を庇い、被害者を厄介者扱いするようになのは珍しくありません。
そんな喧嘩両成敗の意識を子供の頃から植え付けられていた場合、被害者側の非を条件反射的に探すメンタリティが備わっても全く不思議ではありませんし、
「被害者の粗探しによって双方をイーブンにすることが解決策」という意識が潜在的に備わっていくのだと思います。
喧嘩両成敗というのは一部の例外を除いては国際的に通用しないセオリーですし、非常にグレーで後味の悪い解決策です。
「悪いものは悪い」、「先に仕掛けた方、先に手を出した方が悪い」と決めてしまった方が、
正しいことをしている人が悔しい思いをせず、善悪のモラルがクリアな社会になると私は考えますが、それはアメリカ的な考えのようで、
そうなれば日本社会の喧嘩や争いを我慢するカルチャーが無くなるという意見は根強いようです。
最後に余談ではありますが、日本人は世界の中でもSNSが非常に好きな国民と見なされています。
特にX(元ツイッター)に関してはアメリカに次ぐ世界第2位のユーザー数で、日本のユーザーだけで全世界のXユーザーの10%以上を占めています。
第3位は世界最多人口を抱えるインドですが、日本はインドの2.8倍のユーザー数を抱えています。
2023年の段階でアメリカのXユーザーが全人口の約20%に過ぎないのに対して、日本は49%という極めて高い数字になっていますが、
この数値が意味するのは、日本では複数のアカウントを持つユーザーが多いということ。そして企業や特定団体、組織が
世論コントロールのためにXを利用する傾向が顕著であるとも判断されます。
要するに日本は Xを含むSNSの反応を「最も真に受けてはいけない国」ということなのだと思います。
近年では日本関連の話題が「Xの世界トレンドで1位になった」と日本で報じられることが増えてきましたが、
日本はXユーザーが多い上に、関心事が諸外国よりも特定のトピックに集中する傾向が遥かに顕著です。
したがって日本の関心事が世界トレンドで1位になった場合、世界がそれに注目している訳ではないようです。
Yoko Akiyama
執筆者プロフィール 秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。 Eコマース、ウェブサイト運営と共に、個人と企業に対する カルチャー&イメージ・コンサルテーション、ビジネス・インキュベーションを行う。 |
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