一時期サイトにお邪魔するのを止めていましたが、少し前から動画コンテンツがテクノストレスになって、CUBE New Yorkさんに戻ってきました。
以来、「読むって頭に入るんだな」と思いながら秋山さんの素晴らしい文章を拝読しています。
私もご相談をしたくてメールを差し上げました。
私の夫は8歳年上で、私達夫婦には子供は居ません。夫は50代になった今も見た目は若いと言われ、それは周囲のお世辞ではないと思っています。
髪の毛もフサフサしていますし、元気な人です。私より8歳年上とは思えないような幼稚なところもあり、全体的に子供っぽいのだと思います。
そんな夫も年齢には勝てないようで、まず体重が増えてお腹と背中に肉がついてきました。背が180cmあるので、樽みたいな体型にはならないのですが、だんだん姿勢も悪くなって、白髪も目立ち始めました。
日焼け止めを塗ってからゴルフをするような性格ではないので、肌にもシミが出てきて、透明感の無い肌をしています。
それでも本人は若い気分満々で、先日、かなり自信を持って広範囲の健康診断を、夫の兄と受けて来たのですが、
その数値が思いのほか悪く、本来は義兄の妻に頼まれて、夫が義兄を連れて行く役割で一緒に受けた健康診断でしたが、
2週間くらい前からビクビクして摂生していた義兄よりも、夫の方が数値が悪いという思わぬ結果になってしまいました。
お医者様からは、食生活とお酒を飲む量の見直しをキツく言われたようで、本数は減ったとは言え50歳を過ぎからも喫煙していることも注意され、
肝臓がかなり深刻な状態になっていることを警告されました。
夫は驚いてショックを受けようでしたが、私には全然サプライズでは無くて、夫は仕事上、外食や飲みに行く機会が多く、
食の好みも肉類と炭水化物に偏っています。ラーメンや揚げ物も大好きで、食事の時間もかなり滅茶苦茶です。
そこで夫がショックを受けている間に、健康的な食事をさせようと説得して、最初は本人も努力してくれたので、体重を7~8キロ落とすことが出来ました。
でもその頃から気持ちが緩んできて、飽きてきたのと、「いざとなったら体重は簡単に落とせる」という楽観的な気持ちになったようで、
直ぐに元の木阿弥状態になったことで、私と口論になってしまいました。
夫は「自分の人生だし、そんなに長生きするつもりもないから、好きな物を食べて、好きな事をして、死ぬ時が来たら、死ぬだけ」という主張で譲らないのですが、
私は「貴方が病気になったら、誰が看病させられると思っているの?私の残りの人生が、不摂生な夫の介護で台無しにされるなんて耐えられない」と言い返し、
そうすると夫が必ず持ち出してくるのが、夫の祖父の例です。大酒飲みで、ヘビー・スモーカーだったのに102歳まで生きたそうで、
「その血が隔世遺伝で濃く流れて居るから、自分は絶対大丈夫」と自信満々に言い張ります。
でも妻である祖母は80歳で亡くなったそうで、「身勝手な夫の妻は長生きが出来ない。私は貴方の御祖母さんのようにはなりたくない」と
私も言い返して、我ながら子供染みていると思いつつ夫と口論をしてしまい、そのせいでストレスが溜まっているのを感じます。
どうして夫があれだけの不摂生をして、お医者様にも厳重注意をされているのに、未だに楽観的で、健康なつもりでいられるのか、私にはサッパリ理解が出来ません。
最近では口論になると夫に、「お前は心配し過ぎ、もう放っておいてくれ」と投げやりな台詞を言われるようになって、
「こんな大柄の夫の介護なんてまっぴら」と思いながら、再び太った背中を見ていると腹が立つし、情けない思いでいっぱいです。
日頃は私の方が弁が立つのですが、健康問題では主人の身勝手な主張にやられっ放しという感じで、どうしたら夫の言い訳を論破して、不摂生な生活を改めさせることが出来るか、
頭を悩ませています。
何かアドバイスを頂けたら嬉しいです。よろしくお願いします。
- S -
私が知る限り、不摂生な人ほど 何万人かに1人の割合でしか存在しないような、「不摂生し放題の長寿や健康の例」を挙げて、
自分の食生活やライフスタイルを肯定しようとする傾向にあります。
それは摂生を怠ける姿勢であり、自分の将来の不安を掻き消しながら、その場凌ぎで、騙し騙し生きて行こうとするメンタリティの現れかと思いますが、
そういう人物は楽観的というよりも、Sさんが書いて下さったように子供っぽいのだと思います。
楽観視というのは、遣るべきことを遣っている状態でするべきもので、リスクを軽視する時に持ち出すメンタリティではありません。
ご参考までに申し上げると、長寿王国と思われている日本ですが、センテナリアン(100歳以上の人々)の割合は10万人中62人。ウルグアイと並んで世界4位です。
Sさんの夫さんの大酒飲みで、ヘビー・スモーカーだったのに102歳まで生きたお祖父さまは、今の時代でしたらそんな10万人中62人、すなわち僅か0.00062%の存在だったことになります。
Sさんの夫さんの性格を考えると、この状況では論破は適切ではないと感じるのが正直なところです。
Sさんの目的が、論破によって溜まっているストレスを吐き出したいというのであれば、それも良いのかもしれません。
ですが、Sさんが望んでいらっしゃるのは夫さんの不摂生を改めさせることだとありましたので、
一時的に気分が良くなったとしても、相手の反感を高めたり、益々意固地な状況をもたらしてしまう論破はこのケースでは賢い選択ではありません。
夫さんを「子供っぽい」とお考えなのでしたら、男の子が自分より年下の女の子に言い包められた時の様子を想像してみてください。
親や先生に注意されたなら、反省したり、反省したふりをする男の子でも、年下の女の子に注意されたり、言い包められたりすれば、
自分が悪いと分かっていても反発して、関係の無い悪口で反撃したり、乱暴な男の子だったら 頭に来て手を出してくるかもしれません。
大人になって物事の分別がつくと、そんなリアクションは示さなくなるものですが、子供っぽい男性のメンタリティは成長前と大差が無いのです。
そんな強がりで、反省しない男の子が、どんな時に泣きだすかと言えば、自分が決して敵わない相手に睨まれた時、
迷子になった時等、自分の味方が傍にいなくて、孤独や無力感を味わって成す術が無い時です。
ですから私がSさんでしたら、「お前は心配し過ぎ、もう放っておいてくれ」という夫さんの言葉通り、心配せず、放っておきます。
ですがその際に、例え法律上の効力が定かで無くても夫さんに念書を書いて頂いて下さい。
その内容は、「Sさんの再三に渡る警告と、健康的な生活のための協力を拒み、自らの意思で不摂生の継続を選んだので、今後は摂生を求めない代わりに、
体調を崩した場合は自ら責任を取り、Sさんに介護を要求しない。約束が破られた場合には、夫婦の財産折半での離婚に応じる。」
というもので、しっかり日付を入れて署名、捺印をして頂き、オリジナル書類は夫さんの手が届かないところで保管し、
コピーは部屋の中の見えるところに提示するのが良いかもしれません。
日本でもアメリカのプリナプチャル・アグリーメント(婚前協定)は知られるようになってきましたが、アメリカではポストナプチャル・アグリーメント、
すなわち結婚後に結ぶ協約も珍しくありません。
プリナップもポストナップもアメリカでは法的効力があり、たとえ夫婦生活が長く慣れ合った関係でも、
協定をしっかり書面にしておくことは、万一の場合や予測可能なトラブルに見舞われた場合に、御互いの利益や生活を守ってくれるのです。
「何もそこまでしなくても…」と思われるかもしれませんが、夫さんはSさんが何を言おうと生活を改める気持など無いのです。
それでしたら、口論に時間を無駄にするよりも、Sさんが恐れている状況からSさんを守るための自衛をするしかありません。
実際には念書で自衛出来るかはケース・バイ・ケースですが、夫さんが念書を書かれてから
Sさんが口出しを止めて、放っておくのと、口論を続けながら、怒りが収まらない時だけ夫さんを無視するのでは、
夫さんが感じる不安と孤独には雲泥の差が出るのです。
何年連れ添った伴侶でも、離婚すれば介護や看病の義務が無いことは夫さんも承知のことと思います。
安心して不摂生をする背景には、健康について深く考えず、自分の好きな事をして生きて居たい身勝手さに加えて、「Sさんが自分から離れることは無い」という過信があります。
そんな意識を改めて、生活を改善させるには、「何年連れ添っても、妻は見切りをつけた時には 去っていくもの」であることを
しっかり自覚して頂き、「ここで自分が健康を害したら、後が無い」という危機感を感じて頂くしかありません。
私が念書をお薦めするのは、夫さんの危機感を煽るだけでなく、Sさんの精神面の負担を軽減する目的もあります。
同じ問題で定期的に口論するストレスは、夫さんよりも Sさんに大きくのしかかっています。
人間は、”リスク・マネージメント”というアイデアが頭の中にあるだけで、人生で取り返しのつかない失敗をする可能性が大きく軽減される分、
様々なリスクとその回避、対策を考えて生きるので、無意識のうちにそれが精神的な負担になるのです。
人間にとっては未来に起こり得るリスクを考えることは、最も大きなストレスの1つなのです。
夫婦というのは、そんな将来への危惧や、達成したい人生設計を一緒に考えながら、取り組むチームであるからこそ続ける意味がある訳で、
そのチームメイトが大きなリスクの要因になるのであれば本末転倒です。
Sさんのご相談文からも 「今後の人生を夫の介護で奪われたくない」というご自身の保身の意図を汲み取りましたが、
これは決して薄情などではなく、後先を考えずに、散々好き勝手な不摂生をしてきた人の尻拭いなど、真っ当な人間なら誰もが拒んで当たり前です。
夫婦にはそれぞれ人権と人格がある訳ですから、念書を書いて頂くというのは、御互いの権利と意思を確認する目的もあります。
そしてそれを書面に残すと、残さないとではお互いの心理に与える影響が全く異なるのです。
結婚届1枚がカップルに運命共同体のような意識を植え付けることを思えば、書面というものが決して侮れない拘束力を持つことが理解できるかと思います。
ところで、以前のコラムにも書いたことがありますが、長生きする人には特徴があります。
アメリカの研究機関が100歳以上のセンテナリアンを対象に、食生活、喫煙やアルコール摂取量、睡眠時間を含むライフスタイル、既婚未婚、家族構成を含む人間関係、職業、居住地とその気候、
収入、身長体重など広範囲のデータを分析したところ、結果はバラバラで、飲酒・喫煙の習慣があっても、睡眠時間が短くても、長生きする人は長生きするようでした。
しかしたった1つだけ共通点があって、それは全員が若い頃から「自分は長生きする」、「100歳以上まで生きる」と決めていたこと。すなわち生きる事への執着があったのです。
このことは精神力が肉体を上回る例とも言えますが、同じ長生きするのならば肉体の健康を伴って長生きしたいと誰もが考えるものです。
逆にSさんの夫さんのように「そんなに長生きするつもりもないから、好きな物を食べて、好きな事をして、死ぬ時が来たら、死ぬだけ」という刹那的な考えの持主は、
その言葉通り 長寿と言えるほどの長生きはしない傾向にあります。
しかし「長生きするつもりがない」と言っていられるのは一時期までで、特に健康や生命を脅かされてからは、生きることに価値や執着を見出し、
過去の不摂生を後悔するのは、それを見守る医療・介護関係者が語ることです。
結局のところ、命や健康という 人間にとっての最大の財産を大切にしなければ、最後にはその価値を思い知らされるレッスンが待っているということなのだと思います。
Yoko Akiyama
執筆者プロフィール 秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。 Eコマース、ウェブサイト運営と共に、個人と企業に対する カルチャー&イメージ・コンサルテーション、ビジネス・インキュベーションを行う。 |
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