コーナーとCUBE New Yorkのウェブサイト全体を長年愛読しています。日頃はYouTube等のビデオを観ることが多いのですが、
秋山さんの文章は読み易くて、やっぱり読むとビデオで観る情報と違ってしっかり頭に入って来るので、読むことの大切さを実感することが多いです。
私はつい最近、揉めに揉めていた離婚がようやく成立して、やっと自由の身になったアラフォーです。
離婚原因は夫の浮気もあったのですが、夫への愛情はとっくに冷めていたので、それよりも経済的DVで打ちのめされました。
夫は愛人にはどんどんお金を貢いで、私と子供には金銭的に冷遇をし続け、それに文句を言うと「やりくりが下手」、「お前はすぐに金、金と言う」と言い返し、
そういう私のお金への執着が嫌で浮気をせざるを得ないと、浮気まで私のせいにされました。
そして、離婚の慰謝料、養育費の請求の時も「結局は金か…」、「要するに金が欲しいだけなんだ」と、金の亡者扱いをされてしまい、
そう言われると、確かに私は自分が受けてきた酷い扱いをせめてお金で償って欲しいと思っていたので、何も言い返せませんでした。
「結局は金か」と夫が言う度に、「慰謝料なんてどうでも良いので、早く別れたいです」と私が逃げ腰になるので、弁護士の先生が
私に代わって 「離婚で有責側がお金を払うのは当たり前です」と言って下さったのですが、夫は私のことを「お金欲しさに夫の粗探しをして、
子供の将来を考えずに、養育費をせしめる道具に利用して 離婚する強欲な女」と共通の友人に言いふらし、
一部にはそれを信じる人も居たので、以来私は人間不信になっています。
その上、「結局は金か」という夫にイライラして、どう言い返したら良いのかを考えているうちに金運が下がってしまったようで、
勘違いで同じものを2回買ってしまったり、物を失くしたり、壊れたりでそれを買い直す出費とか、
銀行から下ろして封筒に入れておいたお金を封筒ごと紛失したり、まるでお金の罰でも当たっているみたいなトラブルが続いてしまい、
先日、神社でお祓いをしてきました。
その後は 少しマシになったと思ったら、また夫の味方の共通の友達に冗談半分とは言え、お金のことで嫌味を言われて落ち込んでしまい、
夫が「結局は金か」という通り、お金に振り回されたり、お金で悩む人生になってしまったのかと思えてしまいました。
秋山さんにお伺いしたいのは、どうしたら今の不運を招くネガティブ思考を払いのけることが出来るかということと、
これから先に「結局は金か」というようなことを言われた場合、どう言い返したら良いのかということです。
秋山さんだったら、そう言われてどうやって反論なさるでしょうか。
もし私が何か言い返すことが出来たら、きっと「結局は金か」と言われても、今のような負の連鎖には陥らないように思います。
アドバイスを頂けたら嬉しいです。お忙しいとお察ししますが、よろしくお願いします。
これからもお身体にご留意されて頑張って下さい。
- M -
「結局は金か」という台詞は、この世の人々が お金を稼ぐために仕事をし、投資をし、勉強をし、生活を切り詰めたり、好きな事を我慢してまでお金を貯めながら生きていることを思うと、
正論を装った的外れな主張と言えます。
その背景にあるのは、言われた人間が否定や反発をすることを見越して、自らの立場や財産を守ろうとする、もしくはそう語ることで相手を蔑もうとする意図です。
要するに何等かの理由でお金を払って然るべき側が、人間の「お金には正直かつ、正当でありたい」という良心を逆手に取るための台詞で、
「お金が全てと考える浅ましい人間性に失望した犠牲者」のように振舞うことにより、
金銭的ダメージを極力抑え、たとえ要求通りに金銭を支払うことになっても、自分のプライドだけは守ろうするのが 「結局は金か」の背後にある人間心理です。
「結局は金か」という台詞は、いきなり言われた場合に そう簡単にかわせる人が居ないマジック・ワードでもあります。
特にMさんのように優しいお人柄で、常識や品性を持ち合わせている方は言葉を失ってしまうケースは全く珍しくありません。
下手に反論をすれば、自分がお金に汚い人間に思えたり、そういう印象を周囲に与えてしまい、惨めな気分を味わうことにもなりかねません。
人生においては、しっかりした反論を持ち合わせていない場合には、余計なことを言うよりも黙っていた方が良いケースが多いのは事実です。
ですが「結局は金か」に言い返さない場合、相手に心理的なアドバンテージを与えてしまうので、そこからの交渉で相手を追い込めなくなったり、
言い返せなかったフラストレーションが記憶に残る結果、その悔しさがストレスになって降り掛かって来ます。
このセンテンスにそんなマジック・パワーを与えているのは、世の中で最もパワフルなツール、”お金”に対する人間の複雑な心理です。
世の中ではよく「裕福になるにはお金に対する否定的な考えを捨てなければならない」、「お金持ちと同じ心理で生活しなければならない」と言われます。
「お金が好き=貪欲」、「お金は汚いもの」、「大金持ちは悪い人」、「真面目にコツコツ働いていてもお金持ちにはなれない」というような
お金に対するネガティブな視点を払拭しなければならないというのは、裕福になるための自己啓発本、セミナー、YouTubeビデオ等で必ず言われることです。
ですが私に言わせると、一度身に着いた金銭感覚、金銭概念を覆すのはそう簡単なことではありません。
人に何を言われようと、何冊本を読もうと変わるものではありません。
中には「人間の金銭概念を変える力があるのは、貧しい人が大金を得たり、裕福な人が大金を失うことによる 経済状態の激変」と語る人もいますが、私はそれらによって変わるのは人生観や価値観であって、
お金に対する考えやアティテュードには変化がないと思います。
だからこそ宝くじの当選者の多くが、大金を手にしても 貧しい人間のメンタリティのままでいるが故に、直ぐにそれを失って破産してしまうのだと思っています。
Mさんは、元夫による経済的DVを受けていたとは言え、一般レベルでは決してお金に困っていると見なされる経済状態では無かったはずです。
ですが周囲のレベルに合わせて生活していくのに十分な生活費を与えられず、ご自身が専業主婦で収入を得る術がない状態が続けば、
生活に困窮している人と同じようなメンタリティが徐々に育まれても不思議ではありません。
「結局は金か」という言葉に強く反応してしまうのは、正義感と自尊心を持ち合わせる裕福でない人々なのです。
そうした人々はお金に対する姿勢に一貫性がありません。お金を知らず知らずのうちにカテゴライズして、
”キレイなお金”、”汚いお金”、”堂々と受け取って良いお金”、”受け取ったら不幸になるお金”というように選り好みをしています。
相手に対する条件が多ければ多いほど、結婚相手や交際相手が見つからないのと同様で、
お金も選り好みしていたら、お金とそれを稼ぐチャンスを取りこぼしてしまうのです。
ですが実際には世の中において お金ほどニュートラルで公平なものは存在しません。
誰が遣おうと、誰が持っていようと100万円には100万円の価値があるのです。
そしてお金を持っている人ほど、お金の選り好みをしないものなのです。
Mさんには、先ずはご自身のお金に対する不必要な正義感やプライドを捨てて、
もっとリラックスしたアティテュードを心掛けて頂きたいと思います。
お金に捉われさえしなければ、お金について何を言われても 運が落ちるほど引きずることは無いのです。
さて、私だったら「結局は金か…」と言われてどう言い返すかについてですが、Mさんのように受け取って然るべき賠償金や慰謝料の交渉の場でしたら、
「この状況でお金以外の解決策として何があるのでしょうか?」、「この状況でお金を要求するのは合法かつ、道徳的にも肯定される権利です」
というセンテンスになると思います。
もう少し くだけた感じの口論で、嫌われても構わない、プライドの高い相手にお金をしっかり払わせようというケースでしたら、
「それってプライドが高い割に、お金を持っていない人の決まり文句ですよね」、もしくは「それって太っ腹に見えて、実はケチな人の決まり文句ですよね」
という嫌味を込めたセンテンスになるかと思います。
このセンテンスは女性が男尊女卑型の男性に対して語った場合、猛然と怒りを買いますが 効果は覿面です。
ですが私が過去に「結局はお金なんでしょ?」的な言い方をされた際に、実際に言い返したセンテンスは 「人生、結局はお金でしょう」でした。
決して開き直った訳ではなく、私は常々「お金を人生の目的と捉えるか、それとも目的を叶える武器や道具と捉えるかの違いはあっても、人生、結局はお金」と考えていたので、
後ろめたさ無しにそう言ったのを覚えています。
ですが後にそれが間違いだと気付きました。お金を人生の武器や道具と捉えるのだったら、「結局はお金」ではなく、「まずはお金!」と言う方が適切だと考えを改めました。
以来、私自身は「結局はお金」というセンテンスは、どんな文脈でも使わないように心掛けています。
言霊は人間心理に大きな影響を与えますので、私は金運上昇のために 水周りの掃除を欠かさないのと同様に、日頃からお金を語る言葉には気を付けるようにしています。
お金に対して僻みっぽいこと、被害妄想的なこと、固執するようなこと、すなわちお金に嫌われるような事は言わない主義です。
先にお金を結婚や恋愛対象に例えましたが、良い関係にある恋愛相手のようにお金を語っていれば間違いはないかと思います。
裕福になるためのアティテュードというのは、そんな日常生活の中から改められるものだと私は考えています。
その例をご紹介すると、私がCUBE New Yorkの前身となるビジネスを始めた頃、なのでもう25年くらい前の話ですが、アメリカ人の40~50代のビジネスマンと仕事絡みで知り合いました。
最初に私の目を捉えたのは 彼が指にしていた「$」の文字にダイヤをパヴェで散りばめた巨大なリングで、そのえげつないまでにお金をアピールするリングと
本人の上品で温厚なイメージとの落差があまりに激しかったのを覚えていますが、彼によれば 最初はそれより1周り小さいサイズの「$」リングを友人に勧められてつけ始めたとのことでした。
するとビジネスが上手く行き始めて、お金儲けの自信がついてきたそうですが、そうなって初めて気付いたのは、それまでの自分が その温厚で人当たりが良いキャラクターが故に商談では損をしてきたということ。
しかし自分のキャラとは正反対の「$」リングを付けてからは、リングが自分に代わって商談相手を威嚇してくれるようになり、
そんな成金リングをつけながらも 温厚に振舞う彼の様子が、商談相手には「肝が据わった手ごわい印象」を与えていると悟ってからは、リングのサイズを更に大きくして、更にお金を儲けたとのことでした。
私はその時「人間はこんなきっかけで自分の殻を破るケースもあるのか」と非常に興味深く感じたので このエピソードを良く覚えていて、
以来、私自身も あえて悪趣味なジュエリーを業者にオーダーしてきたほどです。
最後に私はこれまでに何度もこのコーナーで 風の時代について語ってきましたが、風の時代を生き抜くには お金の本質を理解することがとても大切だと考えています。
世の中では お金の知識に疎い人ほど、通貨をお金だと信じています。ですがJ.P.モルガンが1912年の議会証言で
「Gold is money. Everything else is credit.(ゴールドこそがお金、それ以外はすべて信用(債権) 」と語ったように、通貨は国の後ろ盾で発行される債権に過ぎません。
国の経済や政府というものがこのまま永遠に存続すると盲目的に信じている人であれば、その認識で良いかと思いますが、
風の時代の暗示は分散です。価値観も財産の在り方も分散していきますし、中央集権制が揺らげば通貨の後ろ盾も揺らぎます。
したがって通貨よりも財産、資産と呼べるものを分散して蓄えるのが風の時代の財テクと言えますが、風の時代の本質は物質至上主義の土の時代とは全く異なります。
風の時代が本領を発揮すると、「実体がある物、目に見える物が財産ではない時代」という暗示が強くなります。
ですから私は、強い心と身体こそが最高の個人資産と捉えて、風の時代を生きる上での最大の武器となるコミュニケーション力、情報収集力をしっかり身に着けることが大切だと考えています。
Yoko Akiyama
執筆者プロフィール 秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。 Eコマース、ウェブサイト運営と共に、個人と企業に対する カルチャー&イメージ・コンサルテーション、ビジネス・インキュベーションを行う。 |
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